イタリアでよく切れる包丁に出会うまで
子供の時から三徳包丁を使って母の手伝いをしていました。
今思えば、子供の小さな手には危なっかしい気がしますが、母に「包丁は危ないからダメ」とか「包丁に気をつけなさい」とか言われた記憶がないのです。
単なる包丁が生活の中で存在感を持ち始めたのはイタリアに来てからです。
***
イタリアで結婚した後、キッチン用品を整えようと包丁を探したのですが、良く切れる包丁が見つかりませんでした。色々買って試しても、切れない。トマトがつぶれる。肉がうまく切れない。
なぜって、私にとって、調理包丁の基準は、日本の三徳包丁だったのですから。
ある時、働いていたデザインスタジオのボスに、日本の包丁のように切れるものが見つからない、とぼやいたら、「何を大げさな!日本の包丁がなんだ。欧州には世界に誇る刃物がたくさんある。XXX(ドイツの某メーカー)を買えばいい。びっくりするほど切れるから」とお説教を食らい、さっそくXXXの包丁を購入してみました。
だめ、切れない。
これじゃない。
がっかりしました。
もう1つ、イタリアでびっくりしたのが、はさみで食料をざくざく切ること。
友人の家や当時の夫の実家で、肉や魚はもちろん、レタスをはさみで切るのを見た時には、びっくりして目が点になってしまいました。
イタリア人の友人が、ほつれたスカートのすそをホチキスで止めたのを見た時と同じくらいの衝撃で、まさに私にとってはパラダイムシフト。
そして、不便で仕方なかったのが、どこの家に行ってもよく切れる包丁がないこと。夫の実家には、こんな包丁でどうやって調理するのだろうと思うような、全然(本当に全然)切れない包丁しかなく、ステーキ用のギザギザナイフを使って食物を切っていました。
今でも忘れられないあの事件が起きたのは、姑と義姉と田舎の家で週末を過ごしていた時です。
イタリア人女性が、どのくらいキッチンを清潔に保つかには驚くべきものがありますが、姑と義姉も半端ではありませんでした。田舎の家の12畳くらいある広いキッチンは、2人の管理の元、全てのものがそこから動かされたことがないようにきちんと整理され、ピシッとアイロンのかかったキッチンタオルはいつも洗いたてで、陶器製の洗面台は昨日工場から出てきたかのようにきれいでした。
そんなキッチンの真ん中に、1x2.5mくらいの大理石のアンティックテーブルが置いてありました。
がたごとと、引っ張り出すのが一苦労の大きな木製引き出しが真ん中にあり、日常使いのカトラリー、そして包丁、その他の調理道具が入っていました。
いつも通り、切れない包丁で調理の手伝いをしている時、もしかしたらもっとよく切れる包丁があるかもしれない、とふと思った私は、木製引き出しを開け、中を探してみました。
全てのカラトリーが同じ方向を向き、調理道具がキッチンショップのようにきちんと整理されている大きな引き出しの、奥の奥に、その物体はありました。
厚手の白い木綿に丁寧に包まれ、麻紐で結わえてあるその物体を取り出し、大理石のテーブルの上に置いてみました。
形が包丁に似ている。
でもなぜ、こんな厳重に包んで引き出しの奥に隠してある?
分けありの(後ろ暗い過去をもつ)包丁?
その物体の穏やかならぬ姿にドキリとして、背中を向けて調理をしている義姉のおしゃべりを遮って言いました。
「義姉さん、これ何かしら?」
「えっ?」微笑みながら振り返った義姉の顔が硬直し「あ~、だめ!気を付けて、触っちゃダメ!」と叫びながらこちらに走ってきました。
思わず後ずさりする私の前に立ち「かおり、これは危険だから絶対に触っちゃだめよ」と表情を硬くする義姉。
なんで、そんな危険なものをキッチンの引き出しに入れておくのだろうかとうろたえながら聞きました。
「何が入っているの?」
「包丁よ。すごくよく切れる包丁」義姉は儀式ばって言いました。
その時の私の戸惑いを分かってもらえるでしょうか?
いつも切れない包丁で、我慢して調理をしていた私の気持ちを。
「えっ?良く切れる包丁?なんでまた、こんなに重装備で隠してあるの?」
「危険だからよ。こんな切れる包丁を使ったら危険すぎるから。あなたも触ってはだめよ。けがしたら大変だから」
「風と共に去りぬ」のメラニーのように、限りなく心優しく、人の毒みたいなものが全くないこの義姉が大好きだったので、何も言わずに、その物体を引き出しに戻しました。
そして、その後、義姉がいない時、最初にしたことは…
だだだだ~ん(ベートーベン第5 運命)
もちろん、キッチンのあの物体を確かめることです。まるで泥棒のようにこそこそとキッチンに入り、ちょっとドキドキしながら、その物体を冷たい大理石の上に置き、眺めてみました。
白い木綿が変に実用的な感じで、なんだか切腹用の包丁のようで(もちろんそんなものを見たことはありませんが)威圧感でひるみました。
緊張しながら、丁寧に紐をほどき、何重にも包んである白い木綿を開いていく私は、救いのない過ちを犯してしまった高倉健が、指つめに使うような凄味のある包丁(も見たことはありませんが)が出てくることを想像していました。
ところが、包の中から出てきたのは、何の変哲もない、どこにでもありそうな普通の、そのうえ全然凄味の無い包丁でした。
これが、危険な包丁? 気が抜けた私は、冷蔵庫からナスを出して、まな板の上に置き、ちょっとドキドキしながら、危険な包丁の刃を当てて力を加えました。
切れない…
刃が滑らかにナスの実の中に沈み込んでいく様を想像していた私の期待を裏切り、ナスの表面が刃に押されてへこみました。
***
30年以上イタリアに住む今、欧州はもちろん、イタリアでも各地に刃物の産地があって、最高に切れの良い包丁を作っていることを知っています。
ずっと、日本から持ってきた包丁を使っていた私が、イタリアで初めて見つけたお気に入りの包丁が、「Memories of Italy-イタリアの想い出」で紹介するトスカーナの刃物工房ベルティのものです。
1895年から続くベルティ家は、一本の刃物を一人の職人が作ることにこだわり、全ての商品に、作った職人の頭文字が刻まれています。
その切れ味でイタリアの(欧州の)包丁を見直させてくれたベルティ刃物工房の商品は、その美しさも圧倒的なのです。
「Memories of Italy-イタリアの想い出」で、まずご紹介することに決めたのは、ステーキナイフとチーズナイフとバターナイフ。
全てが、機能から発生する形でありながら美しい。
それはもう、イタリアの歴史と文化と言うしかないかもしれません。
なぜフェラーリやマセラッティが美しいのか、イタリア製の家具や照明が美しいのか、さりげないふつうの街がこんなにも美しいのか、ファッショナブルな人が多いのか…
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ベルティ工房のあるトスカーナは、イタリアでもお肉料理で有名な地域です。
トスカーナと言えば、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風ステーキ)。子牛の骨付きステーキでトスカーナを代表する料理の1つです。とにかく、大きくておいしい。
キアニーナ牛とかチンタセネーゼという高級豚(日本で言えば、松阪牛とか鹿児島の黒豚、って感じです)の産地でもあります。
何年か前、仕事で工房4代目のベルティさんと知り合い、このステーキナイフを初めて使わせてもらった時、何か取り返しのつかない人生の無駄をしてきてしまったような気がしました。
私は、デザイナーがこれで良いのだろうかと思うほど、ものに執着がないし、何かをコレクションしたり、ブランドに凝ったりすることもありません。でも、切れる包丁、とか、調理器具の機能の良さ、とか、好きなお皿とかカップ、テーブルクロス、そういうつまらないことはとても気になります。そんな私が、何十年も、切れない、その上美しくないステーキナイフでお肉を食べていたとは…
お肉に刃が滑り込むときの滑らかな快感はもちろん、この色気ある、理屈を超えた美しさ。
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そして、チーズナイフ。
チーズ文化の国イタリア。全国各地に、その土地のチーズがあり、それぞれそれにふさわしいナイフがあり、機能から生まれるその形も美しい。
私が日本を出た30年以上前、まだ日本で手に入るチーズはほんの少しでした。そのため、余りチーズの事を知らずにイタリアに来て、チーズ文化の深さを悟りました。
チーズに関する想い出は、またゆっくり書きたいと思います。
チーズナイフは多種類あるのですが、「Memories of Italy-イタリアの想い出」では、使いやすい3種セット(柔らかいチーズ、セミハードチーズ、硬いチーズ用)をご紹介します。
このチーズナイフも、えっ、こんなにきれいにチーズが切れるのだ、という喜びと共に、その形の美しさ、そしてうきうきするような楽しさも味わっていただけること間違いありません。
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最後に、バターナイフ。
このバターナイフを初めて使った時も、目から鱗。普通のテーブルナイフで、硬いバターを切り、塗るのは不便であること、デザイナーだったらとっくに気づくべきだった。小学生の時から今まで半世紀近くにわたり、毎朝毎朝、バターをテーブルナイフで切り、塗っていた私はデザイナーになるべきだったのか?
このバターナイフは、極薄のステンレスで出来ているので、硬いバターでも簡単に切り込め、薄く切ることも可能です。
また、その薄さのため、パンやトーストに塗る時に、刃がしなり気持ちよくバターを塗ることができます。
形も、切り塗るために機能的であるだけでなく、コロッとしていてかわいい。
何十年もの時間を経て出会えたイタリア刃物のお気に入り。
日常の、こんなに小さな贅沢が、どんなに心を豊かにしてくれるか…
皆さんにもご紹介できること、とても嬉しいです。