モルタイオとリグーリアの優しい
おばさんの想い出

ミラノから七曲の高速道を車で飛ばし、1時間半ほどで、イタリア半島北西海岸線に沿って広がる細長いリグーリア州に着きます。風光明媚、なんて観光案内書で使い古された言葉、このリグーリア州のための形容詞にしてあげると言葉も冥利に尽きると思います。時から忘れ去られたような田舎の街から、何十メートルのヨットやハリウッドのスターが集うセレブな街まで、より取り見取り。

ミラノから一番近い海なので、週末になるとミラネーゼが集まります。私もずいぶん長い間、リグーリア州の人の少ない素朴な街で週末を過ごしていました。

この地域は、温暖な気候のせいか、はたまた土が良いのか、「唾をはけば植物が芽を出す」と言われるほど肥沃な土地です。地元の人は、「こんなところまで?」と驚くような、不便で、猫の額ほどの土地までを家庭菜園にしています。そこにまた、はち切れるように元気で美しい野菜が育っていて、それはつい失敬したくなってしまうほどなのです。(もちろん、我慢します)

リグーリアも、他のイタリアの州と同様に、名物料理がたくさんあります。そんな中でも有名なのが、ペスト・ジェノベーゼ。そう、バジリコのペーストで、イタリア料理が好きな人なら誰でも一度は召し上がったことがあると思います。バジリコ、にんにく、松の実、オリーブオイルとシンプルな材料で作るこのペースト。おいしさの秘訣は、当然ながらバジリコです。

さて、そこで先ほどの話、猫の額家庭菜園には、「えっ本当?」というくらい、大きくて、みずみずしく、美しい色で、生命のエネルギーがあふれ出るようなバジリコが育つのです。(本当のことを言うと、猫の額菜園から公共部分に飛び出ているバジリコに関しては、何度も失敬いたしました)また、その香りは、都会のスーパーで買う温室育ちのバジリコと同じ植物とは思えません。

そして、本場のペスト・ジェノベーゼを作るには、はい、「モルタイオ」が必要です!

 

ご紹介するカラーラ大理石のモルタイオ、多くのイタリア人家庭にありますが、リグーリアではほぼ100%の家にあると言っても過言ではないと思います。

モルタイオは、その用途により、カラーラ大理石以外にも、木製、陶器製、金属製と色々な素材のものがあります。リグーリア州で使われているのがカラーラ大理石製である理由は、もちろん、カラーラの採石場が近くにあるせいもありますが、他の素材に比べて擂る時に熱を持たないのもペーストを作るのに重要な要因だそうです。

そして何より、カラーラ大理石の美しさ、他の素材とは比べられないですよね。

モルタイオでペスト・ジェノベーゼを作るのを初めて見たのは、リグーリアの家の近所のおばさん(ご婦人と呼ぶより、精いっぱいの愛情込めておばさんと呼びたくなる人なのです)の家でした。それまでは、ミラノの友人の家で、ミキサーで作るのを見たことがあるだけでした。 夏の強い日差しを避けながら、おばさんの終わらない世間話を聞いていた時、何気なく「手づくりペーストを食べたことがない」と言った私に「じゃあ作ってあげるからちょっと家においで」とおばさん。

大きなお尻をゆすりながら歩いていくおばさんの後を追いながら「そんなつもりじゃ…」と言うとおばさんは、「Non ti preoccupare!(心配ないよ)」と、庭の猫の額菜園のバジリコを大量に手で採りました。

夏でもひんやりとした暗い台所に入ると、おばさんは少しだけ鎧戸を開けて光を入れ、大きな声でおしゃべりの続きをしながら、まるでテンポの良い音楽のリズムに合わせるかのように、モルタイオで、にんにくを、松の実を、そしてバジリコを叩き、擂り、できたペスト・ジェノベーゼを、お花模様の小さな古い小鉢に入れて持たせてくれました。

その時に初めて、今まで飾り物として家にもあったモルタイオの正しい使い方が分かりました。

小さい4つのでっぱりの意味も。回すように擂る時に、モルタイオを回転させるのです。回すための取っ手の役割を果たすのが、あの4つの出っ張りだったのです。

このおばさん、何の利害もない私たちに、いつも菜園の野菜を分けてくれたり、新鮮な卵を分けてくれたりするのです。どんな野菜もおいしかったけど、忘れられないのは、バジリコはもちろん、トマトとサラダ。トマトは、甘くて、まるで太陽の精を食べているよう。いただいたサラダを食べた時は、味が濃くて、今まで自分が食べていた葉っぱは何だったのだろうかと思いました。

都会っ子の私に、本当の贅沢を教えてくれたおばさん。 いつもいろいろしてくれるのに、私にはうまく恩を返すことが出来なくて切ない思いをしていました。

おばさんは、ミラノの気取った高いチョコレートやお菓子よりずっとおいしいものをたくさん知っていたから、そんなものには興味がなかったし、ミラノで買えるような小物には何の関心もありませんでした。

おばさんは、時々料理したものの差し入れ(アンチョビの詰め物とかパルミジャーノとか)までしてくれたけど、もうそれはおいしくて、私が作るものなんて恥ずかしくて持っていけない。

仕方ないから、時々日本に帰国した際、日本のお菓子や小物をお土産に持っていくと、大喜びするふりをしてくれたけど、きっと親切だっただけですよね。

当時私は30代前半だったので、おばさんだと思っていたけど、今思えば今の私と同じくらいの年齢だったのかもしれません。おばさん、まだ元気だといい。

ペスト・ジェノベーゼ、私の人生で何度食べたかわかららないけど、おばさんが作ってくれたペーストほどおいしいものはもう食べられないのではないかと思います。

Artisan's story

Recipe